桜良が突然倒れたのは、梅雨明けの午後だった。
病院に運ばれた彼女は一時意識を失ったが、奇跡的に持ち直した。主治医は静かに告げた。
「肝臓の数値に変化が見られます。新しい治療法の臨床試験に、彼女は適応できるかもしれません」
治療法の成功率は低かった。それでも桜良は笑った。
「私は生きたいって思ってる。君ともっと話したいし、もっと一緒に歩きたいんだ」
彼女は初めて「生」にしがみつく表情を見せた。
僕は彼女の手を握って、頷いた。
それからの数か月、桜良は病院に通いながら、日々を少しずつ取り戻していった。
高校の卒業式。
桜良はマスク姿ながらも制服を着て、校門の前に立っていた。
「卒業おめでとう。やっと“普通の”青春が少し味わえたかも」
そう言って、彼女は花びらをすくうように空を仰いだ。
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季節は巡り、二人は同じ大学に通うようになった。
桜良は週に数回の通院と薬の副作用と戦いながらも、講義に出て、カフェで勉強し、ときどき僕と映画を観た。
病気は消えたわけじゃない。けれど、確実に“未来”がそこにあった。
「ねえ、まだ私の膵臓、欲しい?」
桜良がある日、そう冗談まじりに訊ねた。
僕は真剣な表情で言った。
「もういらない。代わりに君の時間をもらいたい。全部じゃなくていい。少しずつでいいから、未来で共有しよう」
桜良は涙を浮かべて笑った。
「それならあげる。君になら、いくらでも」
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彼女が生きたかった“ふつうの日常”は、たしかに今ここにある。
それはきらめく星のように、決して派手じゃないけれど、美しく輝いていた。
――僕は知っている。
“生きる”ということは、誰かと心を通わせること。
その温もりは、死に怯える夜をも超えるのだと。
終わりじゃない、始まりの物語。
それが、もうひとつの「君の膵臓を食べたい」。