船橋の夜は、凪いでいた。 選挙事務所の壁を埋め尽くした「必勝」の紙が、開け放たれた窓から入り込む冷気で、乾いた音を立てて震えている。テレビの中では、見慣れた元首相の顔が、重厚な勝利の辞を述べていた。野田佳彦。その名は、私という新参者にとって、あまりに巨大な山脈だった。その山が放つ威容に、私の声は幾度となく跳ね返され、冬の空に霧散した。
落選。 その二文字が脳裏に焼き付いた瞬間、不思議と悔しさはなかった。ただ、今まで私が施設で握りしめてきた、無数の「掌(てのひら)」の感触が、急速に蘇ってきた。
私が理事長を務める社会福祉法人の、あの小さな食堂。 九十歳を超えたトシさんが、震える手で私の袖を掴み、「長野さん、明日は来るのかね」と呟いたあの日のこと。彼女の指先は、和紙のように薄く、驚くほど冷たかった。しかし、その奥底には、生きようとする微かな熱が確かに脈打っていた。 あるいは、親の愛を知らずに育った少年が、施設の隅で膝を抱え、泥のついた靴を見つめていた時の、あの重苦しい沈黙。 私は、政治家になりたかったのではない。あの掌の冷たさを、あの沈黙の重さを、誰にも見向きされないまま朽ち果てさせてはならないという、祈りに似た焦燥に突き動かされていただけなのだ。
午前一時を回った頃、事務所に鋭い電話の音が響いた。 比例復活。 その報告を聞いたとき、私は喜びよりも先に、深い溜息をついた。それは安堵ではなく、背中に鋼の棒を差し込まれたような、硬質な責任感だった。
今回の選挙、私は自民党の旗を掲げ、連立を組む維新の推薦も受けた。だが、国政の枠組みなど、私の足元に横たわる「孤独」という名の深淵に比べれば、記号のようなものだ。私は、野田氏という巨木を倒すことはできなかった。しかし、比例代表というシステムが掬い上げた私の票は、あのトシさんが、あの少年が、そして物価高に喘ぎながらデイサービスの費用を切り詰める家族たちが、土壇場で私に託した「命の端切れ」ではなかったか。
「長野さん、おめでとう」 支持者たちの歓声が、遠くで波のように砕ける。私は、その輪の中から少し外れ、外の暗闇を見つめた。 五十三歳。人生の折り返しを過ぎて、私は初めて「公人」という名の、孤独な舞台に立つ。 今まで私は、目の前の一人を救うために奔走してきた。熱が出れば氷を運び、涙が溢れれば肩を貸した。だがこれからは、顔も見えない数百万人の「孤独」を、制度という冷徹な文字で救わねばならない。
比例当選という結果は、私に「負け」を教えた。 勝って兜の緒を締めるのではない。負けて、恥をかいて、それでもなお「使ってもらえる」という恩義に、泥を啜るような思いで応えるのだ。小選挙区で私を拒んだ人々の声こそが、これからの私の教科書になるだろう。
ふと、自分の掌を見た。 選挙戦の十六日間、数えきれないほどの人と握手をした。皮が剥け、赤く腫れた右手が、微かに疼く。この痛みは、私が福祉の現場で見てきた、あらゆる不条理の集積だ。 政治の力学がどう動こうと、私の羅針盤は狂わない。 私は、永田町の赤い絨毯の上を歩きながらも、常に施設の廊下に漂う、あの石鹸と消毒液が混ざったような匂いを、鼻腔に留めておくだろう。
夜が明けようとしている。 東の空が、重い鉛色から、ゆっくりと白磁の色へと変わりつつある。 私は、まだ何も成し遂げていない。ただ、国会という名の巨大な伽藍に、名もなき人々の「掌の熱」を運び込む、孤独な運び屋として、今、産声を上げたばかりなのだ。
野田氏という高い山を見上げ、私は深く一礼した。 そして、まだ冷たい空気の中へ、一歩を踏み出す。 その足取りは、昨日までよりも、ずっと重く、そして確かだった。