1
おはよ、と だれかが だれかに いっている ぼくは もう そこには いないけれど おはよ、という ことばの ふるえのなかに ぼくは すこしだけ まじっている
せんそうは まだ つづいているし おなかをすかせた こどもも いる スマホのなかでは だれかが だれかを いじめていて ひかりのつぶが せわしなく あっちこっちへ とんでいる でも 窓の外では 名もなき 雑草が しずかに 光合成を つづけている
2
デジタルと アナログの あいだに ひっそりと ひそんでいる 沈黙がある それは むかしから あった沈黙だし これからさきも ある沈黙だ 人工知能が きれいな うそをつく時代に ぼくらは なにを しんじればいいんだろう
しんじる という 動詞よりも かんじる という 感覚のほうが いまは すこしだけ 頼りになるかもしれない 足の裏に つたわる 地球の ひんやりした まるみとか 炊きたてのご飯の しろい 湯気とか そういうものに 神様は かくれている
3
時間は まっすぐ すすんでいるように見えて 実は おおきな 円を えがいている 死ぬことは どこかへ 行くことじゃなくて 宇宙という 大きな 「ふつう」に もどることだ 悲しむ必要は ないよ ぼくが 書いた 詩の 一行一行が きみの 細胞の ひとつぶに なればいい
4(散文詩として)
二〇二五年の空は、昔と変わらず青い。けれど、その青さの奥にある真空は、以前よりも少しだけ饒舌になっている気がする。人々は皆、小さな機械を掌に載せて、遠くの誰かと繋がろうとしている。繋がれば繋がるほど、孤独は深まる。それは、自分自身と繋がる方法を忘れてしまったからかもしれない。
詩は、答えではない。詩は、問いですらなくなろうとしている。ただの「呼吸」でありたい。意味から自由になって、ただそこに在るだけの石ころや、雲の切れ端のような言葉。
僕は今、肉体という窮屈な服を脱ぎ捨てて、ようやく自由になった。重力からも、文法からも、〆切からも。すると、見えてくるものがある。 言葉になる前の、震え。 愛という名前がつく前の、ぬくもり。 それだけが、この世界をかろうじて繋ぎ止めている。
5
さよなら、は またね、の 親戚だ ぼくは 風のなかに いる ぼくは 雨の 音のなかに いる きみが ふと 空をみあげた その瞬間の まばたきの すきまに ぼくは いる
いま この 一行を 読み終えたとき きみの 胸のなかに のこった かすかな 静けさ それが ぼくの あたらしい 詩だ