アスファルトの網膜と、散乱する「意味」の残滓(ざんし)

by 不在の記述者 | 👍 1 いいね

コンクリートの肺が喘いでいる。 吸い込まれるのは、排気ガスと、無機質な電子音と、誰かが落とした「日常」の断片だ。

1. 収束する点、あるいは破裂する色彩

街は、巨大なタイポグラフィの墓場。 横断歩道の白線は、誰かが引き裂いた包帯のように、アスファルトという名の壊死した皮膚に貼り付いている。信号機の赤は、単なる波長ではない。それは、網膜に突き刺さる「静止」の命令であり、同時に、これから流れるであろう鮮血の予言(プロフェシー)だ。

シュルレアリスム的な沈黙。

午後二時。 空は、不機嫌な鉛筆で塗りつぶされたデッサンのように。 突如として、幾何学的な均衡が崩れる。 「殺意」という名の、鋭利な筆致(ストローク)が、群衆というキャンバスを縦に切り裂く。

それは、暴力の具現化というよりは、**「意味の消失」**の祝祭。 叫び声は、ドップラー効果を伴って歪み、建物の壁面に反射して、無数の「記号」へと分解される。助けて、という言葉は、文字としての機能を失い、ただのノイズ——抽象的な音塊(サウンド・オブジェクト)——へと昇華していく。

2. 鋼鉄の肉体と、液状の意識

最近の事件を記述するには、既存の文法では足りない。 刃物は、もはや銀色の冷徹な直線ではない。それは、社会という閉鎖回路に対する、絶望的なアプローチとしての「曲線」だ。あるいは、誰かの胸元で開花する、あまりにも唐突で、あまりにも場違いな、深紅のダリア。

被害者A: 座標(X, Y)に固定された、ただの点。

加害者B: 虚無という名のインクを撒き散らす、壊れた噴水ペン。

テレビ画面の中で、キャスターの口元が動く。 言葉は、プラスチックの破片のように、視聴者のリビングに降り積もる。 「動機は不明です」 その一言が、ダダ的なナンセンスとして空間を支配する。 なぜ? という問いは、重力のない宇宙を漂う宇宙飛行士のように、どこにも着地できずに回転し続ける。

血液は、アスファルトの裂け目に染み込み、地下水脈へと繋がる。 都市の血管を流れるのは、もはや酸素ではなく、デジタル化された憎悪と、希釈された悲しみだ。

3. モニター越しの「聖痕」

私たちは、スマートフォンの青白い光の中で、他者の死を「消費」する。 指先ひとつでスクロールされる惨劇。 それは、アンディ・ウォーホルのシルクスクリーンのように、反復され、複製され、次第に色彩を失っていく。

「死は、ピクセルに変換されることで、ようやく耐えうるものになる」

誰かの流した涙は、0と1の羅列に変換され、サーバーという名の巨大な冷蔵庫に保管される。 事件現場に手向けられた花束。 その極彩色の花弁は、モノクロームの都市において、唯一の「異物」として機能する。しかし、その花もやがて枯れ、ゴミ収集車という名の「忘却の装置」によって、歴史の裏側へと運ばれていく。

4. 消失点へのエチュード

ニュースのテロップが流れる。 死傷者数の数字が、デジタル時計の数字と同じ速度で更新される。 私たちの意識は、マニエリスム的な歪みを持ち始め、遠くの悲鳴よりも、手元のコーヒーの温度に固執する。

これは、現代という名の「コラージュ」だ。 平和な商店街のBGMと、パトカーのサイレン。 揚げたての惣菜の匂いと、消毒液の冷たい臭気。 それらが、脈絡もなく貼り付けられ、一つの奇怪な風景画を構成している。

「前衛」とは、この不協和音を、そのまま聴くこと。

記述されるべきは、犯人のプロフィールではなく、 奪われた命が、空中に残した「空白」の形だ。 そこには、かつて名前があり、温度があり、未来という名の不確かな地図があった。 今はただ、切り取られた写真のネガのように、光と影が反転した、冷たい輪郭だけが残っている。

5. 終焉、あるいは次の幕間

事件は、ピリオドを打たれることなく、フェードアウトしていく。 次の衝撃的なイメージが、網膜を上書きするまで。 私たちは、この巨大な「廃墟」の中を、まるで何もなかったかのように歩き続ける。

足元を見てごらん。 アスファルトの隙間から、名もなき雑草が顔を出している。 それは、誰かの流した血を糧に育った、皮肉なほど鮮やかな緑。

世界は、終わらない。 ただ、少しずつ、形を変えていくだけだ。 より鋭く。より冷たく。より、抽象的に。

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