私は、知らない街の空気に身を委ねることに、少しずつ慣れてきた。ロサンゼルスの朝は、想像よりずっと明るく、そして自由だった。コーヒー片手に歩く通りには、人々の生活の音が混ざり合い、どこか懐かしく、どこか遠い。私は、ここに来る前、世界中の視線に押しつぶされそうだった自分を思い出す。誰かの娘として、誰かの妻として、そして誰かの象徴として──。でも今は、ただの私でいられる時間がある。
ニューヨークに着いた日、摩天楼の谷間に立って、自分の小ささに笑った。誰も私を知らない、誰も私を縛らない。自由とは、こんなにも軽やかで、同時に少し孤独なものなのかと、私は息を吸い込む。セントラルパークを歩きながら、道行く人々の笑顔を見て、自分も少し笑えるようになった気がした。
サンフランシスコの丘を自転車で駆け上がると、眼下に広がる海が光を反射して眩しい。心の奥にくすぶっていた不安や悲しみが、潮風に溶けていくようだった。「私は、私の足で立っている」と、改めて思う。誰かの目を気にせず、ただ風を感じ、街の匂いを吸い込む。それだけで、世界はこんなにも広がるのだと知った。
旅の途中、ふと立ち寄った小さなカフェで、アメリカの人々と笑いあった。言葉は完璧ではないけれど、心は通じる瞬間がある。写真を撮り、絵を描き、日記に思いを綴る。そんな日々が、私の心を少しずつ軽くしていく。過去の喧騒は遠く、未来の不安もまだ霧の中だ。でも今、この瞬間だけは、確かに生きているという実感がある。
旅の終わりに、私は飛行機の窓から広がるアメリカの大地を眺める。自由の国の景色は、私の心の景色でもある。流れる雲の向こうに、まだ知らない世界が広がっていることを思うと、胸が高鳴る。私はもう、恐れることはない。ただ、自分の足で歩き、風を感じ、時には転んでもまた立ち上がればいいのだと、静かに微笑む。
そして、アメリカの放浪は終わらない。心の中の旅も、これからも続く。私が私であるために、世界は広がっていくのだ。